しかし、障害者のおかれている現状について説明をするのは障害者だからできることで、健常者の人が話をしても説得力がない。キャラバンの後半、健常者のスタッフだけでとある障害者専用の教習所を訪れたとき、けんもほろろな対応をされたときその思いはいっそう強くなった。もともと障害者に対して「教えてやっている」的な雰囲気の強い教習所なのだろうが、それを差し引いても納得ができる対応ではなく悔しい思いをした。確かに健常者であるスタッフがいくら「重度の障害者にとって有効な道具です」と説明しても言葉の重みはない。
今、問題に直面している人自身が発言するからこそ、言葉に重みがでる。説得力がある。そして、周囲の人々が納得してくれる。障害者の問題だからこそ障害者が中心になるのである。
Joy Projectが非営利団体であることも非常に有効に働いた。「自分たちの利益のためにやっていることでなく、社会貢献だ」という立場を明らかにすることによって、Joy Projectのスタンスが明確になった。
一部Joy Projectは商売をしている団体と思われた関係者もいたようだが、それは市民団体というポジションが、まだ日本で社会的な認知を得ていないためである。
今までの「障害者は特別な存在であるから、助けてあげよう」という「お恵み福祉」「施しの福祉」という発想を変えて活動を展開したことも、一般には受け入れやすかったようだ。
今までは無理といわれていたことを実現できたのは、この発想の転換があったからで「障害者を特別な存在として扱うのではなく、一般経済社会のなかにいかに取り込むか」という考え方を主張してきた。
97年3月に来日したマイク氏が働きはじめ税金を納め、健常者の市民と同じ生活を営めることになったように、社会環境を整えることによって障害者は特別な存在の施しの対象ではなくなる。来るべき高齢化社会も見据えて、障壁を取り除くことの有用性を主張したことは、障害者以外の人々にも比較的容易に受け入れられた。
今までの福祉団体にありがちな「お願い」とは違う切り口で、必要性を説いたことは理由が明確で説得力があった。
第2節 Joy Projectへの期待
今までの福祉団体のなかでこれほど当事者の生活を大きく変える可能性をもった変革を短期間に、そして全国レベルの周知を含めておこなった団体はない。
それだけに各地の当事者からJoy Projectに寄せられる期待は大きかった。情報が遮断されている入所型施設に入っている重度障害者まで確実に情報が行き渡ったとは思っていないが、「Joy Projectならこれからも何かをし続けてくれる」「必要な情報を持っている」「情報を送ってくれる」と全国の当事者たちは熱い思いでJoy Projectを支援してくれた。
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